坂木司『先生と僕』

先生と僕

先生と僕

 2007年12月購入。2年9ヶ月の放置。大学生の伊藤二葉は偶然知り合った中学生・瀬川隼人の家庭教師をすることに。怖がりでヘタレな草食系男子である二葉とは違い、隼人は好奇心旺盛でしっかりものだった。本書は隼人を探偵役とした日常系ミステリある。雑誌に挟まれた付箋に書かれたメッセージの謎を解く「先生と僕」、ボヤ騒ぎの起きたカラオケ店から消えた少女の謎「消えた歌声」、区民プールに出現した怪しげな男の正体を探る「逃げ水のいるプール」、無料の展覧会の誘いにどのような裏の意図があるのか?「額縁の裏」、ペット商品に関するネット掲示板で見つけたいかにも怪しげな記述の真相を探る「見えない盗品」の五篇を収録。
 先生=家庭教師の二葉と僕=教え子の隼人という構図が提示されているものの、ミステリレベルに置いては教え子であるはずの隼人が名探偵役を務めており、倒錯した関係が見られる。このパターンはありがちではあるが人物同士のやりとりでストーリーを盛り上げることができ、手法としては王道的であるといえる。しかし本書でまずいのは、ミステリレベルを離れたところでもこの構図が倒錯したままにあるという点だ。教師役、すなわち人生の導き手であるはずの二葉が隼人に比べて明らかに世間知らずである。本書には謎解きを経て何らかの人生の教訓を得る、という形式の話が含まれているが、教訓を得るのは二葉の方になっている。これにより、物語上常に二葉<隼人という関係が成立してしまい、せっかく人生経験が未熟な中学生を探偵役にすえて、その上そんな少年に年上の大学生を教師役として据えた意味が希薄になってしまった。それどころか、少年の方が年上の青年を人生について教え諭すという格好になっている。これもまた、倒錯と安易に片づけてしまうのも可能だ。だがそこで少年の成長を表現することができなくなってしまった。こういう構図にしてまで少年を名探偵にする意味がはたしてどこまであるのだろうか。