吉川英治『新書太閤記』1〜11

新書太閤記(一) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(一) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(二) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(二) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(三) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(三) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(四) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(四) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(五) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(五) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(六) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(六) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(七) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(七) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(八) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(八) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(九) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(九) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(十) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(十) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(十一) (吉川英治歴史時代文庫)

新書太閤記(十一) (吉川英治歴史時代文庫)

 序盤は藤吉郎秀吉と彼の母のあいだに存在する親子の愛情を描いており、いかにも吉川英治作品らしく、読者に対する吸引力も強い。ところが中盤以降、特に本能寺の変前後は信長の行動や明智光秀の心情にスポットが置かれ、秀吉の人物像はひどく薄くなる。ストーリーの展開上、秀吉がいったん舞台の中心から外れるのはやむないにせよ、それ以降も秀吉の描かれ方は淡白なものになってしまっている。
 さらに残念なのは、物語が小牧・長久手の合戦終了後というひどく半端なところで、まるでジャンプの打ち切り漫画の如く終了している点だ。太閤物語を考えるに、一百姓からの成り上がりという光の部分と、天下人となった以後の朝鮮出兵失敗という影の要素があってこそ、秀吉その人の人物像が立体的に浮かび上がってくるのではないだろうか。それが光の部分のみを描写し、影をばっさり切り落とした体裁での完結は作品完成度としては決して高いとはいいがたい。ひどく不自然な終わり方なので、終わり方が作者の意図したものかどうかははなはだ疑問ではあるが、一読者としては非常に残念ではある。