光原百合『時計を忘れて森へいこう』

時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)

時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)

 2006年6月購入。2年の放置。本書の語り手である若杉翠は、すれたところのない素直で純粋な女子高生だ。その翠が耳に挟んだ親友と教師のいさかいめいた会話とその真相を描いた第一話、知人の亡くなった婚約者が浮気をしていたのではないかと疑う第二話、拒食症を患った知人とその恋人の生い立ちにひそむトラウマをめぐる第三話と、三つの話が展開され、いずれも語り手の視点から見える他者の心の闇の部分に立ちいり、それを探偵役の深森護が解き放つという構造を有している。いずれも問題となるのが翠の思考法で、彼女は自身が知りうる断片的な事実をすべてマイナス方向で解釈している。それは確かに一見すると憎悪や裏切り、対立といった心楽しくない要素を連想させうるものではある。しかしそれらは探偵役の解釈によってプラス方向へと鮮やかに反転する。
 この反転はミステリ的にみれば反転のこうずが鮮やかに映えるし、同時に語り手の「若さ」というものをも鮮やかに映し出しているといえる。自身が心優しい少女で傷つくことあるいは傷つけることを忌避する気質である。それゆえにそういった恐れのある周囲の出来事には敏感になりすぎる。結果として視野が狭くなり、すべてを悪い方向へと考えて悩む。しかし余裕を持ってさらに広い視野を持つことができれば違う真実が見えてくる。それができるのが翠よりも大人である護であり、その護の視野の広さとそこから生じる優しさに翠は惹かれる。本書はミステリであると同時に少女と大人を隔てる心の余裕を描く小説であるといえる。これらのイベントを経て翠が大人へと成長を遂げる要素が見えるのであれば、成長小説としての読みどころもあっただろう。残念ながら、それらの要素は不足している。