柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

漱石先生の事件簿―猫の巻 (ミステリーYA!)

漱石先生の事件簿―猫の巻 (ミステリーYA!)

 2007年4月購入。1年1ヶ月の放置。夏目漱石という人物は自身が著した作品のみならず、本人の人物像自体が非常に面白く、小説の題材にもってこいである。文明開化の時代の最先端ともいえる優れた近代的視点・知識を有していながら前近代的な漢学を好み、自身の英語教師という職や留学先の英国を忌み嫌っている。作品にまで反映された鬱々たる気性、偏屈ぶり、そしてそれらと相反するユーモア精神……このような漱石像に注目し島田荘司は『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』なるミステリの佳品を書き上げた。また、作品レベルでは単なるユーモア小説と切り捨てることのできぬ懐の深い作品世界を作り上げた『吾輩は猫である』や夢をテーマにした幻想小説の傑作『夢十夜』など、それ自身モチーフとして新たな作品、奥泉光『『吾輩は猫である』殺人事件』を産む母体となることもある。
 柳広司は以前にも『贋作「坊っちゃん」殺人事件』において優れた漱石ミステリを発表した。本書はそれに次ぐ漱石ミステリ第二段である。前作が『坊っちゃん』の世界の後日談として描かれたのに対し、本書は実際の漱石自身を登場させるとともに『吾輩は猫である』の世界観を背景に持ってきて、独自の物語世界を作り上げている。そこでは前述した偏屈であるが魅力的な漱石が登場し、寒月さんや迷亭氏、多々良さんといった面々と面白おかしい会話を繰り広げたりする。一方で何らかのミステリ的趣向をこらした事件が発生し、漱石宅に居候する書生がその事件を解決することになる。全部で六つの短編・事件が収録されており、児童書向けレーベルで書かれたためかもしれないが、全体的に小ぶりでミステリ的には手ごたえは薄い。とはいえ漱石ものパロディ・パスティーシュとしてはよくまとまっており、読み心地はさほど悪くない。