読書と既読チェック

 ミステリマガジンのオールタイムベスト、ミスラボのミステリ既読調査とこのところ立て続けに自身の既読状況をチェックしてみた。さらに昨年末にはこのミス、本ミスそして文春のミステリランキングについても同様のことをした。その際に抱いた感想がいずれも「該当作品をほとんど読めていない」というものだった。そしてそれゆえもっと読まねばいかんという脅迫感に似た思いにとらわれることとなるのだが、そういった心持ちで本と向き合うのはどんなものだろう。
 胸を張れるほどではないが、それなりの冊数を自分では読んでいるつもりだ。*1。そのような状況で既読チェックが芳しくないのは読もうと選択した作品がそのリストに該当することが少ないからだ。つまり、この手のリストに登場するような新刊や話題作、有名作品を優先していけばおのずと成績は上がっていくわけだ。その結果、チェック数も増えることとなる。
 だが、そこで得られるのは所詮はちっぽけな自己満足感だけではないか。例えばこのミスベスト10全作品を制覇したとか、既読チェック数100を超えたなどというのは、単にそういった企画に取り上げられる作品、あるいは取り上げられるであろう作品をチェック数を上げんがために読んでいるわけで、自分が本当に読みたくて読んでいるとはいい難い。
 もちろん、オールタイムベストに登場するような作品やランキング上位作品にはハズレが少ないわけで、読後に満足できる可能性は高い。また、新刊話題作を読んでいればオフ会等で話題についていけなくなる*2ということもない。だが、なぜ読書をするのか? 結局は楽しいからであって、既読チェックの成績を上げるためではない。名作や話題作が未読であるというのは損していることになるのかもしれないが、それと既読チェックの成績を上げることとは別だ。これらのチェック行為に踊らされて読書を楽しむことをスポイルすることになるのなら、むしろ話題になってなくとも自分の気になった本を読むべきで、既読チェック数が少ないことを気に病んで読む本を選択するような愚だけは避けたい。
 ということで、今後も気の赴くまま、適当に読み散らかしていきたい。既読チェックはその上での単なる個人の読書傾向を示すもの以上の意味はないのだから。*3

*1:年間100〜150程度と思われる

*2:これは結構寂しいものがある。

*3:だからといって俺に本を勧めんじゃないぞ、ということではないので私向きの面白い本があるのなら、勧めてください。