伊坂幸太郎『重力ピエロ』

重力ピエロ

重力ピエロ

 遺伝子関係の会社に勤める泉水とその弟で落書きを消す仕事をする春の兄弟の物語。仲のいいこの兄弟だが、父親が異なっていた。それも、とてつもなく深刻な理由で。泉水の母親はある日レイプをされてしまう。その結果として生まれてきたのが春なのだ。その母親は死んでしまい、そして今父親が癌で入院する。さらに連続放火事件や春のストーカー、そしてレイプ犯の父親の行方などが絡んでくる。
 以上、まことに重たいテーマを秘めた作品だが、非常に穏やかなテンション――まさに主要人物の名前にある「春」の如く――進行していく。同じような家族愛を扱う作家として舞城王太郎がいるが、彼の描く家族愛の激しさとは対極の位置にあるといえよう。

 以下はネタバレを含む。


 本書で登場人物が求める行為は「消し去る」ということだ。春は町に溢れた汚い落書きを「消し去る」ことを生業とし、父、そして泉水と春の息子たちは父の癌を「消し去る」ことを望む。謎の放火犯も放火という行為によって建物を燃やし「消し去る」わけだが、その奥にある動機は自分の中にある何らかの不快な思いを「消し去る」ことをしたいのだろうと予測される。
 放火犯の正体が春であると判明した時、その「何らかの不快な思い」も明確になる。春はレイプ犯が犯行を行った場所を放火することによって、レイプ犯に自分の存在を犯人に知らしめる。そして、それに気づいた犯人をおびき出し殺害する。当然レイプ犯=自分の父親であるのだが、その存在を「消し去る」ことによって自分のDNAに刻まれた業を解き放つことに成功する。これら「消し去る」行為はすなわち浄化の意味を持つ。

 かくして春、そして春同様にレイプ犯を「消し去る」ことを目論んでいた泉水だが、どうしても「消し去る」ことの出来なかったもの――父親(春にとっては義理の父)の癌、そしてその父の死が最後に待ち受けている。作者は単にカタルシスを読者に与えるだけでなく、すべてを浄化できるわけではない、そんな人生というものの姿をきっちりと、だが春という季節の如く穏やかに表現する。

 この穏やかさは裏を返せばあまっちょろさでもあるので、そこがどうしても合わないという人も多いと思う。これまで4作品読んできて、伊坂幸太郎というのはまことに優等生的作品を書く作家だという印象を常に受けてきたのだが、本作は殊にその印象が強い。