金薫 蓮池薫訳『孤将』

孤将

孤将

 本書の主人公李舜臣といえば豊臣秀吉による朝鮮侵略を退けた民族的英雄で、この英雄の像は韓国のいたるところに建てられており、いずれも海の向こうにある外敵日本のほうを向いているといいいます。

 こういった人物を描写する場合にとられる手法といえばたいてい第三者から英雄を観察する視点を用いるものである(たとえば、名探偵ものがしばしばワトソン視点で書かれるように)が、この『孤将』は随時李舜臣の視点で進行します。で、その内容といえばひたすら陰鬱です。日本による侵略に対して悩み、国王の信頼を得られないことに苦悩し、飢えに苦しむ民衆に涙し……国民的ヒーローによるスペクタクル・ロマンとして描けばさぞ盛り上がるだろうに、そういったところとは最も遠い作者はピントをあわせたようです。日本文学でいうところの「戦争の悲惨さ」を描いたものと同じようであるが、立場が決定的に異なります。これは「非侵略者の悲惨さ」を描いた作品で、韓国人と日本人では受け止め方が大きく異なりそうです。


 こういった「外敵から国を守った英雄」といえばお隣中国の岳飛が思い浮かびます。民衆のために戦うものの政府によって足を引っ張られ悲劇的な最期を遂げるという点が共通しています。

 では、日本における李舜臣岳飛とは誰か? ということを考えるとこれが難しい。そもそも日本は四方が海に囲まれているという地政学的条件に恵まれているため、外敵によって亡国の危機にさらされるといったことがほとんどありません。おそらく二度で、最初が元寇。これは最終的に人的要因ではなく、「神風」によって阻まれます。後の第二次大戦において「神風」が日本を守るシンボルとして用いられるようになり、この意味では李舜臣岳飛に近いといえます。しかし、あくまでも人でなく自然です。

 では李舜臣的人物とは誰か。最も近いのは土方歳三ではないかと。亡国第二の危機は黒船騒動より始まり明治維新に終わる幕末の時代ですが、この時代には国が滅びるということは日本の魂が滅びると思われていた節があります。それに対して純粋な日本的なもの=武士道をもって最後まで戦い抜いたのが新撰組の土方であった。李舜臣岳飛のように彼らが敗れたことが後に国が滅びる遠因になった、というようなことはないが、土方はサムライ日本の象徴として死んでいった。こうった人物の存在はえてしてナショナリズムを高める要素を用いるます。数年前の新撰組――ひいては土方ブームというものは、近年の日本国内に見られる嫌中・嫌韓の風潮に先駆けて起こったもので、このころから知らぬうちに日本ナショナリズムは高まってきていたのかもしれません。もちろん、ワールドカップやオリンピックという国単位で行われるイベントのほうが表立ってはあるのでしょうけど。