ファウスト系作家についての雑感〜プロと素人の距離〜

 話題の雑誌『ファウスト』をパラパラと読んでみて思ったことを以下にまとめる。

ファウスト系作家登場の流れは簡単に述べると新本格メフィストファウストということになるであろう。これは講談社ノベルスの変遷と一致すると言いかえてもよい。この流れの中で、作家と読者の距離感が段々と縮まってきているように思える。

 この現象を「プロ」の「素人化」と「素人」の「プロ化」と仮に名づけてみる。


②別の世界でもこの現象が見て取れる。それはテレビの世界、それもお笑い系について顕著だ。
 日常レベルで我々素人は「ボケ」たり「ツッコミ」を入れたりし、さらにそれらの行為でウケをとることを「オイシイ」などと認識してしまう。
 これらはすべて「プロ」のするべきことであり、「プロ」が思うことであり、素人はあくまでそれを見て笑ったりする――いわば受動的な立場にあるはずだ。
 
 ここらへんの認識が曖昧になってきており、それはつまり「プロ」と「素人」の認識そのものが曖昧になっていることに他ならない。

 なぜそうなったかというと、「素人」が「プロ」と同じ土台に立てる(ように錯覚させる)番組が増えたことがその一員ではなかろうか。


③再びミステリの世界でそれを考えてみる。「素人」が「プロ」と同じ土台に立てる(ように錯覚できる)ものとはなにか?

 Blogを中心とした書評・創作系サイトの登場がそれにあたる。

 自分のサイトを持ち、えらそうにミステリ論をぶってみたり、自己満足にすぎない創作を発表して見せることによって気軽にプロ気分が味わえる(これは今私自身のやっている行為にそのまま跳ね返ってくる。自戒の意味もこめてこういう言い方をさせてもらう)。
 ネット上において彼ら(我々)は作家であり批評家である。「素人」が「プロ化」してしまっている。少なくとも、ある創作物を発表している点においては「プロ」と対等であるといえよう。このような錯覚がプロ作家への仲間意識を生み、それが作者自身への興味――決して作品自体へのそれではない――につながっていく。


④このような「素人」側の認識に対して「プロ」側が逆に「素人」側に歩み寄っていく、というのが①で示した流れの一解釈にならないか。

 『ファウスト』という雑誌の作家陣は’80年代生まれを中心としており、これは今の若い世代の読者と一致する。読者は作者に興味を示し従来の「作家先生」と「ファン」といった関係とは異なったいわば仲間意識のようなものをもつことになる。

 『ファウスト』の代表的な作家である佐藤友哉にそれは顕著で、彼は「ユヤタン」と呼ばれネット上では作家先生というよりは友達感覚で語られることが多い。また『ファウスト』の「佐藤友哉の人生・相談」のコーナーでは従来の人生相談ものとは違い、作家自身が読者に相談を持ちかけるという倒錯した構成をとっている。その関係こそまさに「プロ」の「素人化」で「素人」の「プロ化」に他ならない。

 「プロ」と「素人」の距離は縮み、境界は曖昧になりつつある。おそらくそれは読者の嗜好がミステリ作品そのものからキャラ萌えへと移って来た事とも――作品よりも作中人物への興味――関係してそうだ。さらにこのキャラ萌えは作品外へと飛び出し作家萌えと言う現象も生みつつある。