米澤穂信『さよなら妖精』

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)

 2004年2月購入。3年11ヶ月の放置。刊行当事の帯の惹句に「気鋭のボーイ・ミーツ・ガール・ミステリ」とあるように、少年が一人の少女と出会いから始まるミステリ風味の強いストーリーとなっているのだが、より本質的な部分では少女と出会いよりもむしろ、その少女を通して世界と向かい合う作品といえる。
 主人公の守屋路行はユーゴスラビアから日本にやってきた少女・マーヤと偶然知り合うのだが、彼女の思考法・行動・そしてそんな彼女を形成するに至った日本とは異なる異国・ユーゴスラビアの現状が守屋の心を大きく揺さぶる。高校生の日常とはかけ離れた世界を目の当たりにして、守屋はどうにかしてマーヤとその母国に対して行動したいという抑えがたい衝動にとらわれながらも、しかし一介の日本の高校生に過ぎないという無力感に襲われる。この「世界に対する無力感・絶望感」は後の『ボトルネック』という作品で徹底的に突き詰められるのだが、テーマとしては本書の段階で扱われていた。
 また、本書を角度を変えて一人の少年の青春小説風に眺めて見た場合、モラトリアムとその脱却という構図も見えてくる。これは折木奉太郎古典部シリーズに通ずる部分でもある。かように作者が好んで用いるテーマがきっちりと織り込まれている作品といえる。
 青春小説という観点でいえば秀逸なのは主人公の守屋が弓道部で活動している点に関する箇所だ。集中力を欠いた状態で放った矢が偶然的を射るものの、精神面での未熟さを顧問の先生に叱責されるシーンがある。さらに後に守屋は、的を外したものの射るまでの一連の動作に乱れのないことを褒められることになる。ここで象徴される、結果よりも過程を重視する、という思考は作中で自身の生き様に悩む守屋の行動を暗に左右することになっており、作品自体に一本の硬質な筋として存在している。
 もちろん、主人公を取り巻く女性たちの魅力も忘れてはならない。マーヤ、太刀洗、いずるという三者が三様に物語に花を添えてくれており、それ自体楽しい。