米澤穂信『遠まわりする雛』

遠まわりする雛

遠まわりする雛

 論理性が重視される本格ミステリというジャンルにおいては、論理的とはいえない人の感情を描くには決して相性がよいとはいえない。一昔前であればそのような感情面を切り捨ててあくまで論理に奉仕せんとした作品は「人間が書けてない」などいう一言で持って斬って捨てられてしまうことさえあった。この論理と感情という二つの要素を本格ミステリのフィールドに真っ向からぶち込んでみせたのが本書である。
 そもそも探偵役の折木奉太郎は「やらなくていいことは、やらない。やらなければならないことは手短に」をモットーにしており、その精神は彼の行動論理の土台となるところである。にもかかわらず、そのモットーは千反田えるの「わたし、気になります!」の一言によってあっさりと崩壊する。論理を支配するはずの探偵役の行動論理は磐石ではない。その矛盾がこの「古典部シリーズ」における必要不可欠な大前提となっているのだ。
 シリーズ四作目の本書では、彼らの活動を一年を通じて追っていく短編形式となっているのだが、部室で二人きり→密室で二人きり→そして……と折木と千反田の距離を縮めていくことによって揺さぶられる感情というものが大きくクローズアップされていく。最終的には折木のモットーそのものが彼自身の感情によって大きく揺さぶられることになるのだが、作者はそこに至る過程を7つの短編で見事描ききっている。予想してなかったこのオチはしかし……「小市民」シリーズとはまったく逆の意味で続きが非常に気になるぞ。