秋梨惟喬『もろこし銀侠伝』

もろこし銀侠伝 (ミステリ・フロンティア)

もろこし銀侠伝 (ミステリ・フロンティア)

 2007年8月購入。1ヶ月の放置。「武侠小説」という、日本ではいまひとつ注目されないジャンルがある。簡単に言うと中国における通俗時代活劇小説で、読んで字のごとく「武」――格闘バトル要素と「侠」――信義や義侠心を重んずる行動理念を前面に押し出した作風が特徴だ。日本で言うと山田風太郎の諸作品や吉川英治鳴門秘帖』、最近の作品では西尾維新戯言シリーズにおけるバトル要素などが似通ったテイストを持っている。あるいは少年ジャンプに代表されるような少年漫画のバトルものにも酷似している。では実際の武侠小説はいかなるものか、という点についてはそれこそ金庸の『秘曲 笑傲江湖』や『天龍八部』など全作品や古龍の『多情剣客無情剣』などを読んでいただくのが一番手っ取り早いので、興味を持たれた方はぜひ手にとっていただきたい。

 さて、本書『もろこし銀侠伝』であるが、これは武侠ミステリの傑作である。一瞬で三人もの人間を片づけることのできる必殺技「殺三狼」の使い手の死を巡る謎を解き明かす「殺三狼」では武侠小説ならではの「武」の要素がそのまま謎の一環を成しており、かつ、その世界でしか成り立たない殺害方法が用いられている。続く二編「南斗北斗」「雷公撃」もやはり武侠的世界観を活かして武林の英雄がらみの事件を採り上げている。通常の世界観ではバカミスでしかありえないトリックも、武芸における奔放な技が飛び出すことがデフォな武侠ワールドではそれもアリになる。最後の「悪銭滅身」は武侠小説の雛形ともいえる古典『水滸伝』の登場人物である浪子・燕青が主役を務める。武侠小説ではお馴染みの毒殺用の暗器を巡る謎を燕青が探る展開で、時代的には梁山泊入りの前日譚となっている。
 武侠小説的お約束をイマイチ解さない読者にとってはツボをはずす作品となるかもしれない。だが、単純にミステリ作品としてみた場合でもそれなりに楽しめると思う。まさか「こんな武術ありえない、駄作だ」などと世迷言を言う輩はいないだろう。また、中国ものは苦手だという向きの読み手はご愁傷様です。本書より始まる武侠小説というジャンルへの開拓が閉ざされてしまうことになるのだから。でも向き不向きはあるので仕方はない。
 しかし、このタイトルはどうにかならなかったのか。「もろこし」って……。武侠ミステリという惹句を用いず中国時代ミステリとしているのも本質を外していると思う。武侠ではマイナーでダメですか。