桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』

赤朽葉家の伝説

赤朽葉家の伝説

 2006年12月購入。1ヶ月の放置。鳥取の旧家「赤朽葉」一族の女性を三代――万葉・毛毬・瞳子――にわたって描いた物語。それぞれの女性が時代を映す鏡として機能しているのだが、とりわけ興味深いのは彼女たちの視線の向く方向だ。
 戦争直後を生きた万葉は未来視の能力を有するのだが、これは復興、そして高度経済成長へ向けてまい進していく時代の空気と一致する。この時代は戦争という過去から脱却し、人々の視線は今後の平和で明るい未来へと向いていたはずだ。
 そしてその娘毛毬。彼女は漫画家として大成するわけだが、その漫画の内容は自身の経験に基づくものであり、それはすなわち視線が自分自身に向かっていた事を意味する。同時に自分にとって都合の悪い、天敵のような存在(百夜)は認識できないでいる。校内暴力や受験戦争で心がすさみ始めてきた時代で自己中心的な個人主義が目立ち始めてきたころでもある。また、この章ではノストラダムスの世界滅亡予言が信じられていたころで、そのエピソードを挿入する事によって時代の閉塞感を効果的に演出している。
 最後に瞳子。彼女は本来「自由」と名づけられるはずであった。しかし結局はその名前は与えられない。生まれた時から自由を奪われた少女だ。当然、現在という時代の空気とマッチするわけで、そんな彼女の視線は過去――万葉や毛毬の生き様に向けられる。未来に対しては明確なビジョンを持てず、現在の自分自身に対しても熱くなることはない……

 桜庭一樹は常に少女を描いてきた。今作もこれまでの作法どおり少女を描いている。そして少女を描くことによって戦後から現在に至る時代の空気を表現した。おおげさにいうならば、本書は桜庭一樹だからこそ書けた戦後史である。