仁木英之『僕僕先生』

僕僕先生

僕僕先生

 2006年11月購入。2ヶ月の放置。金持ちのボンボンである王弁はいい年をして働くこともせず、かといって学問に精を出すこともなくひがな安楽をむさぼっていた。そんな彼が父の使いで向かった黄土山で仙人と出会う。しかもその仙人、なんと美少女の姿をしていたのだ……

 唐代を舞台にした仙人の登場するファンタジー、というとバリー・ヒューガードの『鳥姫伝』シリーズ3部作が思い浮かぶが、『鳥姫伝』がいかにも西洋人のイメージするチャイニーズ・ファンタジーの色合いが濃いのに対して、本書は日本人のイメージする中国ファンタジーといった趣を呈する。
 仙人=自由人という連想が働くが、その自由人を作り上げるのに作者は登場人物に二つの枷を設けている。家族――とりわけ父親という「孝」の概念と国家という「忠」の思想だ。この二つの枷から逃れることによってはじめて仙人への道が開かれるわけだが、当然そう簡単に道は開かれない――作品における仙人像は以上のようなものだが、物語が進むにつれ、さらにこの発想は発展していく。仙人自身も自分たちが生きる仙人たちのネットワークに縛られている。主人公の仕える美少女仙人「僕僕先生」そのネットワークからも逃れ、真の自由人たる生き方を実践しようとする。作中における仙人像はここに極まる。
 しかし、その仙人の中の仙人ともいうべき「僕僕先生」が唯一執着するものがある。それが王弁で、王弁自身も勤労意欲も学問への情熱もないくせに、「僕僕先生」に執着する。この関係はいかにもセカイ系を思わせ、非常に興味深い。