道尾秀介『シャドウ』

シャドウ (ミステリ・フロンティア)

シャドウ (ミステリ・フロンティア)

 2004年9月購入。3ヶ月の放置。母親の死を契機に凰介の周囲でさまざまな事件が頻発するようになる。幼馴染み・亜紀の母親の自殺、亜紀の交通事故、それに父は精神に以上をきたしたかのようにみえる……凰介の周りで何が起きているのか?

 各所のランキングで上位を席巻しつつある道尾秀介の最新作は例によって各視点人物の認識の違いを有効に利用してミステリ的趣向を成立させている。その手際たるやいまや堂に入るといってよい。作者にとって重要なモチーフである子どもの扱いも同様で、子どもにとっての悲劇的展開とその救済が(読み手によって好き嫌いがあるとはいえ)巧みに表現されている。


 ところで作者は『2007本格ミステリベスト10』のインタビューにおける自作のフェア/アンフェアという問題に対して以下のような発言をしている。

僕自身は、読みたいものを読んで、書きたいものを書くというだけなので、意見はありません。もちろん本格ミステリが好きですから、本格の仕掛けを作中に取り込みたいという気持ちはありますが、それ以前に、僕の中では小説というのは読む人の感情を揺さぶるものだという思いが強いんです。両方を完璧に取り入れた作品が書ければいいんでしょうが、書いている最中でどちらかを選ばなければならないとしたら、僕は迷わず感情のほうを取ります。それによって、たとえアンフェア判断する人が出てこようが、登場人物の感情を重視した小説を書きたい。

 従来の本格ミステリ作品は「人間が書けていない」といういいかたで批判されてきた。しかし原理主義的視点からすればそれは道尾のいう「感情」よりも「本格の仕掛け」を選択してきたからであり、批判そのものはまっとうでありながらも本格ミステリという観点、ただその1点においては的外れとなりえていたはずだ。そういった本格ミステリとして王道となりえる選択を「迷わず」捨て去り「人間を書く」道を選択した道尾が現在における本格ミステリ界において最も期待される書き手であるというのは、どうにも非肉的だ。あるいは本格ミステリそのものが変容しつつあるのかもしれない。