石持浅海『セリヌンティウスの舟』

セリヌンティウスの舟 (カッパノベルス)

セリヌンティウスの舟 (カッパノベルス)

 2005年10月購入。8ヶ月の放置。荒れる海でのダイビングで遭難してしまい、九死に一生を得た6人の男女。だが、この経験によって彼らはお互いを信頼できる仲間と認識するようになった。ところが、仲間の一人が青酸カリを飲んで自殺した。いったいどうして? そして彼女の自殺に協力した者はいるのか?


 友人の自殺の謎をディスカッション形式で探るホワイダニット――あるいはフーダニット。ただし、推理の前提となるのが「お互いの信頼」というおよそ論理とはかけ離れたものとなっている。そういった不安定な前提でどれだけ正確なロジックが組み立てられるのか、というユニークな思考実験とも言える趣向をとっている。いかにも石持らしい論理展開と動機設定ということで長所も短所も非常にはっきりしている作品。他作品同様、作者特有の「クセ」が受け入れられるかどうかで好みが分かれそう。


 なお、セリヌンティウスとは太宰の『走れメロス』に登場するメロスの親友である。この名前をタイトルに持ってきていることからわかるように、推理の材料ろうとして『走れメロス』の内容が微妙に絡んでくる。そして、のみならず思わずにやりとしてしまうところが一点あった。

 作中での探偵役が最後の推理を披露する直前の描写だ。

秋の空気は澄んでいて、星がよく見えた。正座に詳しくない僕にとって、星は星だ。ただ綺麗であればいい。満天の星の下、僕たちは並んで坂道を下っていった。

 一方、『走れメロス』には以下の描写がある。

「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
 メロスは口惜しく、地団駄(じだんだ)踏んだ。ものも言いたくなくなった。
 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯(うなず)き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。


 両作品ともに「満天の星」が登場する。『走れメロス』では王に嘲笑され怒りつつも、セリヌンティウスとの友情を確かめ合ったのちの描写で、メロスの迷いなき心境、決意を著した屈指の名場面である。
 一方で『セリヌンティウスの舟』においても探偵役がこれから真相を推理することによって仲間の迷いを断とうと決意した場面だ。
 迷いなき心境、仲間を救う決意する描写を思わぬところで本歌取りしてくるとはまことに心憎い。