桜庭一樹『荒野の恋 第1部』

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

 タイトルといい、あらすじ紹介といい、作者が桜庭一樹でなかったら絶対に手を出すことのないタイプの小説だ。中学生の山野内荒野という少女が未だ知らぬ恋なるものを実感していくという内容のビルドゥングス・ロマン。そのシリーズ第1部だ。


 少女の初々しさを表現する筆致はさすが。現実のレベルにおいてこんな少女いるかとかこんな学生生活あるかとか突っ込むことも可能だが、その作品世界には妙にリアリティーを感じさせる。

 この感覚はどこから来るのか? 荒野という少女の五感すべてを表現しているからではなかろうか。
 荒野視点で書かれているため視覚はいうまでもない。
 悠也のにおいを嗅ぐという行為で嗅覚を大胆に表現している。
 聴覚はラスト近くの両親の営みの声を聞くというダイレクトなシチュエーションを用意している。
 触覚に関してはあざとい設定を荒野に用いている。接触恐怖症というものだ。恋愛という行為では相手との接触を避けて通れない。接触恐怖症の荒野は悠也と触れ合うこともままならないのだ。この症状を乗り越えることこそ恋の真の成就に到達するわけで、荒野個人の成長と恋の成就が密接に結びついている設定だ。視覚に関するアイテムである眼鏡も相手との距離を測る上で一つの障壁とみなすことも可能で、眼鏡をはずす行為とは相手と自分の視線の間にあるもの=障壁を取り除く行為とみなすことも可能で、それを取り払うことによって恋の成就を表現することもありうるのではないか。
 最後に味覚だが、食べ物に関するものを除くと結構希薄だ。恋に関する部分では最後のキスの場面で表現が可能だが、そこは接触恐怖症ということもあってかあっさり流している。最後の味覚の欠如こそ、荒野の恋が未だ成就せぬものであることを象徴しているのではないか。キスの味を知ってこそ荒野の恋は真に成就するはずだ。