エドモンド・ハミルトン『フェッセンデンの宇宙』

 奇想コレクションシリーズもハミルトン作品も今回が初読み。本来であればしばらく積んでおく予定だったのだが、でこぽんさん(id:yookoo)にお勧めいただいたので早速読んだ次第。
 作品自体は古いのだが、叢書刊行に合わせて新訳されていることもあって海外翻訳ものが苦手な私にもすんなり読めた。もちろん、訳者との相性がよかったということもあるのだろうが。
 短編9編を収録。


 表題作「フェッセンデンの宇宙」は人間が宇宙を作り上げるとどうなるか、というお話。ラストで我々の世界そのものの存在感さえ危ぶまれるという趣向は衝撃的だ。鈴木光司の某作品は本作を現代的に料理しているという意味で、現代日本における本作の正嫡といえよう。また、宇宙を作るという奇想にのみ目が奪われがちだが、「人間が神の位置に立った場合どう振舞うか」というテーマも見逃せない。自分の作り上げた宇宙において神のポジションについたフェッセンデンのとった行いが神と人間の決定的な違いを表現している。自分勝手に見えるその行いから判断するに、人間は神たりえない。だが、そこにある好奇心こそ人間性の一面であるといえよう。


 「風の子供」は風=生き物という設定のもとに書かれた作品。作中の少女の選択は自らの愛情を選ぶことによって自然を捨て去るというように読み解くのは強引か。


 「向こうはどんなところだい?」は科学による発展を素直に肯定せずにその裏にある事実を描き、英雄に祭り上げられた主人公に対して悲哀感さえ感じさせる1篇。個人的には本作品集のベストにあげたい。


 「帰って来た男」は死んだと思われていたが実は生きていた主人公の悲しさを描いている。死からの復活が喜びでなく悲しみにつながるあたりが切ない。


 「凶運の彗星」の彗星に住む宇宙人の姿や、地球を周回軌道上から盗み出すといったアイデアはまさに奇想というにふさわしい。


 「追放者」は本作品集でもっとも短い話だが、その分切れ味は抜群。読者に現実に対する認識を疑わせる手法は「フェッセンデン〜」に通ずるものがある。


 「翼を持つ男」は突然変異によって翼を持って生まれてきた人間を描いた作品。人間と違う特性を持って生まれてきた男は感性も人間と異なる。いわば形質が心性を決定するということか。


 「太陽の炎」は宇宙開発をロマンと正反対の認識で描いていおり、そこには「向こうは〜」と通ずるものがある。


 「夢見る者の世界」の現実感の揺さぶり方は、「フェッセンデン〜」や「追放者」でもとられている手法。ハミルトン短編の真髄はここにあるのだろうか。