続「ワトソン役」考

 以前に『「ワトソン役」考』という記事を書いたのだが、これに関して「Pの食卓」というサイトで反応していただいたので、これに答えてみようかと思う。

 上記サイトでは「ワトソン役」について本格ミステリに必要な要素である「フェアプレイ」という観点に立った場合において、以下の役割があると結論付けている。

「本格」における『ワトスン役』の役割は解決に必要な情報を『名探偵』と読者に提供すること。

 フェアプレイを実現させるためには常識的な『ワトスン役』の登場が「本格」には必要とされる。


 なるほど、「フェアプレイ」が必要とされる本格ミステリというジャンルでは単なる「探偵の助手」というのとは別次元の役割が「ワトソン役」には与えられている。至極まっとうな結論であり、納得できるものである。

 ただ、ここで問題となってくるのは「フェアプレイ」という観点に立つ、その意味である。

 「探偵役」、「ワトソン役」、「犯人役」という登場人物で成り立つ本格ミステリにおいては二つの対決の構図が見られる。その二つとは

 1、探偵VS犯人
 2、作者VS読者

である。
 1は作中での構図でこの場合の「ワトソン役」の役割は単純で「探偵」の助手という意味しかもち得ない。「解決に必要な情報を『名探偵』と読者に提供すること」という意味が生まれてくるのは2の場合で、「フェアプレイ」という概念も作者VS読者という前提に基づくからこそ生まれてくるのだ。

 では、そういったフェアプレイを提供するにはどうすればよいのか。フェアな立場で情報を提供できるように物語を描けばよい。そういった情報を提供できる人物の視点で物語を展開すればよい。そう考えたとき、「ワトソン役」というのはうってつけの「装置」――キャラクターではない――になりうる。名探偵ものがしばしば「ワトソン役」の視点で書かれるのは、こういった条件によるものであろう。

 「ワトソン役」とはフェアプレイを提供する装置で、だからこそ、そういった役割を持っって生まれてきたワトソンがそのまま役割として定着し、「ワトソン役」なる名称が後の本格ミステリにおいても広く用いられるようになったのではないか。

 つまり、P氏の結論部分が前提条件になり、その条件を満たすために生み出されたのが「ワトソン役」だというようになる。したがって創作者の視点に立つと、

 「本格」においては「フェアプレイ」を実現しなければならない。
 そのためには解決に必要な情報を『名探偵』と読者に提供する必要がある。
 だからこそ、そういった常識的な提供者たる『ワトソン役』が物語上必要なのである。

 ということになる。

 この観点で見ると、「ワトソン役」とは単なる情報提供者というわけではなく、作者と読者をつなぐ、そして物語の内部と外部をつなぐメッセンジャーという物語に欠くことのできない非常に重要な役割を担っているということになる。