「ワトソン役」考

 ミステリでは探偵の助手にあたる人物を「ワトソン訳」と称することが多い。ワトソンとは名探偵シャーロックホームズの助手をつとめた人物であることは言うまでもないことだが、物語の主役たる探偵を「(シャーロック・)ホームズ役」と呼ぶことはないのにもかかわらず、脇役で探偵の引き立て役に過ぎない助手のワトソンの名前がミステリ世界においては普遍性を有している。この人物の名称が自身の登場する作品を飛び出して他作品でも登場するのはなぜだろう。
 物語上の架空の登場人物がその世界を飛び出して普遍性を有する例としては、ツルゲーネフ命名するところの「ドン・キホーテ型」と「ハムレット型」がある。広辞苑(第四版)から引用すると、前者が「ドン=キホーテのように、現実を無視し独りよがりの正義感にかられて向う見ずの行動にでる人物」のことで、後者が「ハムレットのように、思索・懐疑の傾向が強く、決断・実行力に乏しい人物」とある。このように類型化できることはすなわちそのキャラクター自身に個性があるからこそである。
 ではワトソンはどうか。ワトソン役とはすなわち探偵の助手役に他ならない。それ以上の意味はもちえない。これを個性というべきか。むしろ探偵に対する助手役という無個性に徹している――すなわち「人間が書けていない」からこそ普遍性を有することとなったのではないか。逆に探偵役はホームズ、ポワロ、金田一、御手洗、榎木津、京極堂……などそれぞれ個性があるが故にこそ「ホームズ役」というように一探偵に依存する呼称を拒んだ。
 また、「ワトソン役」が強烈な個性を有するとどうなるか。これはキャラクターの依存度が高くなった現代本格作品には多く見られる。ここでは本格スタイルが崩壊することもある。いわゆるラノベ化である。また、麻耶雄嵩の某シリーズのようないびつな本格を生み出すことともなる。