麻耶雄嵩『神様ゲーム』

神様ゲーム (ミステリーランド)

神様ゲーム (ミステリーランド)

 2ちゃん麻耶オフに参加するべく読んだのだが、日程の都合で参加できないことにorz

 小学四年生の芳雄の周囲で起きた猫殺害事件。彼は同級生と結成した探偵団の仲間とともに犯人探しを始める。そんな中、芳雄は転校生の鈴木君と仲良くなり、驚くべきことを告げられる。鈴木君は神様で、猫殺しの犯人を知っているという。それどころか……

 謎に満ちているがゆえ不安定な世界に立たざるを得ない読者を、その謎を解明することによって安定した世界に着地させるのが本格ミステリの形式だといえる。それなのに麻耶ミステリは事件の謎が解けてもなお不安定な地平に位置し続ける。本来は謎の解明によって得られるはずのカタルシスは訪れず、下手をすると事件が解決する前よりもずっと不安で不安定な世界に立ちすくすことになる。それこそが麻耶の魅力でもあり、そうであるがゆえ本格ミステリの境界上の作家としてこんにち特別なポジションを占めている。

 だが、「謎が解明されてもなお不安定」という状態はなんと現実世界に近いことか。子供向けレーベルで書かれた今作も従来の麻耶作品の例に漏れず同様の構造をとっている。そして子供にはあまりにも酷な世界――これもなんと現代的かつ現実的であろうか。同時期に刊行された田中芳樹の『ラインの虜囚』が子供に対して理想を知らしめる小説であったのに対し、麻耶作品はあくまで現実の厳しさ・残酷さを晒しだす物語となっている。ネット上ではこれを子供に読ませるのはどうよ?的な意見が多く見られたが、それは現実に近い世界を書いている以上当然である。しかし、子供はいつか現実を知らねばならない……って、まあ、私が子供の親だったら読ませるには躊躇する作品ではある。

 ちなみに、主人公の芳雄にとって残酷な世界が描かれる話ではあるが、そこにいたる過程を深読みすると、一連の事件の解決に対して結局芳雄は神様頼りになってしまっている。自分で犯人を突き止めることは出来ず、友人殺害のトリックを解明することも出来ない。それらはすべて神様に教えてもらい、罰を与えることも神様に託した。努力を放棄し、他者――神様に委ねてしまう。その結果の悲劇は自業自得とは言わないまでも、そこに至る自身の努力の放棄によるものであるともいえよう。『神様ゲーム』には「何事も人に頼らず自分自身が努力するべきだ」というお子様向け教訓がこめられている……さすがに無理があるなあ。