陳舜臣『桃源郷 下 東帰編』

桃源郷〈下〉東帰編

桃源郷〈下〉東帰編

 12世紀初頭のアジア・イスラム世界の移ろいを「西遼(カラ・キタイ)」を中心に描いた大作。当時の世界情勢といえば東に宋・遼の争い、そして金の台頭があり、一方西はイスラム世界とキリスト教圏による十字軍の攻防が繰り広げられていた。東西いずれも争いの絶えない中で、「桃源郷」――理想郷を追い求めるものたちの長大な足跡。


 広大なアジア大陸の歴史の移り変わりを「マニ教」というキーワードで読み解いた作品。構想50年というだけあってスケールの大きさ、テーマ性、歴史的洞察いずれも素晴らしいものになっている。


 登場人物も多彩で『水滸伝』の宋江、『ルバイヤート』の作者ウマル・ハイヤーイスラムの英雄サラディンの父アイユーブ、金庸の『天龍八部』で主役を演ずる段誉こと段和誉(もちろん、あんな女にだらしないキャラではない)等々。これらの登場人物の名前を聞くだけでワクワクしてくる。1作品に東西それぞれからこれだけの人物をよくぞぶち込んでくれたものだ。小ネタとして宋江の部下がジャワに向かったことが触れられるが、これは『水滸後伝』を踏まえてのもので、この後日本の関白と戦うのだなと思わずニヤリとしてしまった。日本人も作品に登場し、彼はなんとエジプトで日本の内情を耳にする。スケールでかいよ。


 争いのもとにある考え方の相違――特に宗教的対立は当時に限らず現代でも解決されない問題だ。この作品で登場人物が出す結論は「名前を捨てること」。キリスト教でもイスラム教でも仏教でもマニ教でもなく、宋でも遼でも金でも、そしてシーア派国家でもスンニ派国家でもない。神への祈りはどの宗教でも同じであり、そこに対立はない。国でも同じだ。そういった「名前を捨てること」こそ桃源郷――平和への道である。作者は争いの絶えない現実世界に対し忸怩たる思いを抱き、それがこの小説執筆の動機になったのでは。