清原500号ホームラン

ようやく出ましたね。それはそれでめでたいことなんですが、それなりに思うことも。
最近のプロ野球で話題になるのは「清原」であり「古田」でありあるいはメジャーリーグの「松井」であり「イチロー」である。あくまでチームでなく、個人なんですよね。もちろん、個人として話題になるべく話題でそれで構わないと思うけど、一方でチームとしての巨人が注目されることが少なくなった。弱いから、と言ってしまえばそれまでなんだけどそれだけじゃないかな、とも思う。以下、清原500号から考えたことをつらつらと述べてみる。

①巨人のアンヴィバレンツ
最近の巨人の低迷は明らかに打撃偏重、守備軽視から来ている。チーム強化には投手陣の強化が最優先だということは誰の目にも明らか。昨シーズンオフに投手陣の補強、センターラインの強化をすべくして動いた。だが、それは失敗。それは仕方ないにしても清原、高橋、阿部……スター候補が打者しかいない。これがキツイ。人気回復にスターは必要(それは長島監督時代を見れば明らか)だが、そのスターが打者しかいない。結果、打者頼みとなる。ところが、それではチームは強くならない。もし、チーム強化をするには打者を捨てて投手を育てるべき……清原はもともと半力として構想外だったかもしれないのだ。今は結果をそれなりに出しているからいいが、人気を考えての起用という一面があることはまちがいない。
個人が話題になって結果を出すが、チームは弱い。話題になるのはその弱さ……巨人の陥っている状況は結構つらいものがある。


②個人重視の考え方と「キャラ萌え」
まさか清原には萌えないと思うが、個人重視の考え方は現在のミステリや漫画に見られるキャラ萌えに通ずるものがあるのではないか。
今話題になるミステリはロジックやトリックがどうこう言う以前に探偵やワトソン役が魅力的かどうかが重視される側面があり、それは年々大きくなってきている気がする。いわゆる「キャラ萌え」であり、とりあえずそういった魅力的なキャラクターを作れば人気が出るという構造が適用されるケースがみられる。漫画になるとそれはもっと顕著である。
これは野球の構造と同じでチームそのものよりスター選手の記録が話題になる=作品そのものの出来より登場人物の魅力が語られる、すなわち全体よりも個を求める。現在の傾向はこの等式の元に成り立たないか。


③個人重視の社会構造
これを現在の社会問題あるいは自分自身に適用するとどうなるか。自分の働く会社という全体よりも個人としてのあり方を求める。このケースが多いのでは。会社全体を中心に考えても終身雇用が崩壊した世界である以上自分の身の振り方のほうが大事だ。もっと自分を高く買ってくれる会社を求め、リストラの恐れのない安定した会社を求め、自分の余暇を大切にする……結果として個人重視の考え方が生まれる。


こうした考え方が清原500号ホームランの記事の扱い方につながったのでは、などと思った次第。