五島勉『やはり世界は予言で動いている』

やはり世界は予言で動いている (予言体系―釈迦と日蓮)

やはり世界は予言で動いている (予言体系―釈迦と日蓮)

ノストラダムスの大予言」で話題になった人。1999年7の月以降は非難と罵倒と嘲笑の対象にしかならなかった人。まだ書いていたんだ。
内容は日蓮と釈迦の「予言」を取り上げて現代がいかに「末法」にあるかを述べている。今後どうなるかの具体的記述はなし。
日蓮にせよ釈迦にせよ、そしてノストラダムスにせよ、予言者としての価値はゼロだと思う。なぜなら、振り返ってみないと「予言」が的中しているかどうかわからないから。予言者と呼ばれる人たちがインチキなのか本物かどうかはこの際問題ではない。実際に予言が的中してるにしてもそれが前もってわからない限りはその予言自体の価値はゼロであろう。
この手の予言を取り上げた本で、「ほら、やっぱり予言は当たっていた」予言者の能力を驚くべきものとして取り上げることは多いが、「だから何?」ということになってしまう。そのこと自体はすごい。しかし、結局読者が知りたいのは未来なんだから。
読み物としては面白いと思う。
ただ、「予言」そのものから切り離して現代社会に対する警世の書として読んだ時、鬼子母神のくだりにはぞっとさせられる。

カリティは子供の肉を好物としていた。彼女に子供を殺され嘆き悲しむ母親は多い。そこで釈迦はカリティの子供を彼女の目から隠してしまう。子供を失ったカリティはそこで初めて母の子を思う気持ちを知る。釈迦に子供を返してもらったカリティは改心し、よその子供を食うことをやめ、さらには子供の守護神となった。

いわゆる「鬼子母神」の話であるが、ここでキーとなるのは「子を思う母の気持ち」を利用した釈迦のやり方である。これが現代社会では通じない。パチンコに夢中で暑い車中に子供を放置し、殺してしまう。あるいは泣くのがウザイからと折檻しさせてしまう。あるいは……
要するに、釈迦のやり方――教えは現代の世の中では通用しない。現代人は仏の教えでは救うことができない。
トンデモ本という先入観を捨ててみるといいかも。