霧舎巧『九月は謎×謎修学旅行で暗号解読』

 2005年9月購入。5ヶ月の放置。相変わらずセンスもへったくれもないタイトルのシリーズだが、6作目ともなるとこれはこれでありだという気になってしまう。ああ、恐ろしい……

 本作はタイトル通り修学旅行の京都を舞台にした暗号もの。京都では2年生の棚彦と琴葉が暗号を元に秘法探しをする一方で、学園に残る3年生の保のもとにも棚彦たちと同じ暗号が。二つの舞台で同じ暗号を用いた別種の謎解きが繰り広げられる。さらに、琴葉たちの前に「なるさん」と呼ばれるもう一人の探偵が現れる……

 以下、ネタバレ気味に。


 探偵がらみのトリックは作者のもう一つのシリーズ「開かずの扉研究会」を読んでないと楽しめないたぐいのものだ。逆に言えば、そちらを読んでいればよりいっそう楽しめる趣向になっているので、霧舎ビギナーにはお勧めできない。

 それはさておき、その探偵を用いた謎解きで非常に興味深い趣向がある。

 最後の暗号解読の場面だ。六角屋敷にて琴葉のいない間に棚彦は暗号を解読し、<<アステカの秘法>>のある地下室を発見、侵入するが地下室に閉じ込められてしまう。棚彦と離れて「なるさん」と別行動をとっていた琴葉が六角屋敷に戻ってくる。当然棚彦のいる地下室のある場所を探すのだが、その際に「なるさん」はオーソドックスに暗号解読をしない。ではどうするか。先に解読した棚彦の言動を頼りに暗号を解き明かすのだ。
 このことは何を意味するか。探偵の行動・発言は地の文における伏線と同じ信頼性を有するものとして存在しているということではないか。もちろん、謎を解き明かした者の言動だという前提は存在する。謎の解明前の言葉ではいくら探偵によるものでもそこまで信頼性は置けない。だが、ひとたび正しい推理の道を開いた者の言動なら別だ。それを推理の材料として探偵の得たものと同じ真実にたどり着くことも可能になる。
 地の文=神の視点による記述であるがゆえに間違いのないものだとするならば、それと同等の正しさを持つ探偵の言動は神のごとき言動と言い換えることも可能だ。他の登場人物と比して探偵という存在を特別なものとするのは単に謎解きをする役目を与えられたからというだけでなく、そうするがゆえに絶対的に正しい言動を作者によって保障されているからだ。