F・W・クロフツ『樽』

樽 (創元推理文庫 106-1)

樽 (創元推理文庫 106-1)

 購入日不明。1998年1月発行の第61版。カバーが今は亡き芳林堂池袋書店のものだというあたり、時の流れを感じさせる。まあ今更内容を取り上げてどうこう言うのも野暮になるほど有名な古典。いわゆるアリバイものの嚆矢だ。現代の視点で評価してしまうとやはりツライ、というかどうしても古さが目立ってしまう(当たり前だ)。捜査小説としては楽しめるのだが、テンポの遅さが気になる。このクラスの作品になると、純粋に作品単体の面白さ云々以前にミステリの教養としての読書という立ち位置に立たざるを得ないのは致し方ないところだ。

 とはいえ、それはそれでよいのではないか。本格ミステリというジャンルを楽しむということは当該一作品のみならずその作品の背負った本格ミステリの歴史自体を感じ取る、といったものがあると思う。アリバイ物は須らく『樽』を踏まえて書かれている。読者はその事実を知っているか否かで本格の歴史の重みの感じ方が変わってくる。知っているのみならずその作品を読んでいればさらにその歴史の重みを味わえるはずだ。したがって作品を読むことに深みが増すことになる。これは『樽』に限らず『アクロイド殺し』でも『毒入りチョコレート事件』でも同じだ。ジャンルの重みを味わうことに、本格ミステリの楽しみがある。麻耶雄嵩の某作品など、先行作品を知っているかどうかではるかに味わいが変わってくる。それを知らなかった私は自分の本格ミステリに対して無知であることを非常に悔しく思った。
 煎じ詰めれば「教養主義」の話になってしまい、この説を唱える以上私はバリバリの教養主義者になる。ただしまったく実践ができていないのだが。まだまだ精進します。