米澤穂信『氷菓』

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

先月に購入。1ヶ月なら放置とは言わない。言わないはずだ。
神山高校に入学した折木奉太郎は、姉の強い要請で古典部に入部することになった。そこで知り合った仲間たちとちょっぴり不思議な謎の数々。何事にも積極的に関わろうとはしたくなかった奉太郎はそれらの謎を成り行きで解き明かしていく羽目になる。そんななか、『氷菓』と名づけられた文集の由来――そこに秘められた過去の真実を知ることに。

今注目の米澤穂信のデビュー作。ミステリ部分はまあまあ、青春小説としては良作といった印象。この二つのウェイト、意識してかどうかはわからないが後者に重きを置いた構成になっている。あくまで現代の奉太郎たちの生き様が中心で、過去の出来事はそれを描く上でのパーツ、背景に過ぎない。『氷菓』の秘密に関する過去の部分はもっと重く書けた筈だし、そうすることによってミステリ部分での因果関係を明瞭にすることが出来た。コアなミステリファンからすれば、そのへんが物足りなく感じるのではないだろうか。逆に、そこらへんを軽くすることによって若者の支持を得られたのだろうけど。

また、主人公の「やらなくていいことは、やらない。やらなければいけないことは手短に」という考え方は話題作『春季限定いちごタルト事件』の主人公と通ずるものがある。奉太郎の面倒なことを避ける灰色な生き方は小鳩君の目指す小市民のあるべき姿に似ている。そしてそれは他人と異なることを恐れる今の若者の生き方でもある。問題なのは米澤作品の主人公は小市民にあこがれながらそうはなれない名探偵として生きていかねばならない、という小説内部での宿命の元にある、ということだ。小市民――脇役を望みながら名探偵――主役にならざるを得ない。読者の側でそんな主人公にあこがれる心理がないだろうか。自分は普通でありたいと行動しておきながら心の奥では自分こそ主役だと思っている。ジコチューっていうのはそういう心理のことを指す。米澤作品が若者受けする裏にあるものってもしかしたら……などと深読みしてしまった。世間で一般で言うところの穿ちすぎってヤツだ。