山田風太郎『魔天忍法帖』

魔天忍法帖 新版 (徳間文庫)

魔天忍法帖 新版 (徳間文庫)

 2002年11月購入。およそ3年の放置。平穏な江戸の世に生きる忍者鶉平太郎が時空を超えてたどり着いたのは徳川家康の生きる時代。そこで通常の歴史の流れと違う奇妙な世界を見るのだが……

 はじめに断っておくが、今回はネタバレを大いに含む形で感想を書かせていただく。というのも、この作品で語られる歴史展開を通常の歴史の流れと比較することが作品自体の魅力を語る上で必要不可欠のことであると考えたからだ。ネタバレを嫌う人はこの先を読まずに作品そのものを読んで「山田風太郎版”関が原”」の魅力に大いに酔うべきである。

 通常の歴史においては織田信長明智光秀豊臣秀吉→石田光成→徳川家康という流れを見せるのだが、鶉平太郎が訪れれた世界ではいきなり徳川家康が斬首刑に処せられる。しかも刑を執行するのは石田光成である。以降、歴史は我々の常識とは逆に徳川→石田→豊臣→明智→織田と展開する。人物の流れが綺麗に逆転しているのだ。まずここに歴史を逆転させる(しかも、その逆転とは敗者が勝者になるという単純な構図では納まりきらない)仮想歴史ものとしての面白さがある。

 そして人物の流れは逆転しているが、事件そのものは我々――ひいては鶉平太郎の知っている歴史そのままで展開する。平太郎が訪れたパラレルワールドでも関が原で天下分け目の決戦が行われ、天王山は決戦の地としての重要性をもち、本能寺では謀反が起きる。そして未来からやってきた平太郎は戦略眼抜きにただ単に知識としてそのことを知っている。この鶉平太郎という忍者は太平の江戸の世では有能であるが、戦乱の時代においてはさほど目立った存在ではない。しかし、これらの事件の流れを知っているというアドバンテージを有しているがゆえにそれなりの活躍の場を設けることとなる。山田風太郎忍法帖では忍者たちはそれぞれ固有の忍法を使い個性を出しているが、鶉平太郎はそのような特技を持ちあわえていない。かわりにこれからおきる歴史的事件を知っている。いうなれば「メタ忍者」という存在である。この概念も実にユニークだ。

 そしてキャラクターの立て方のうまさが光る。例えば徳川家康が斬首される直前水を所望する。執行吏は水の代わりに瓜を差し出すが家康はそれを断る。「瓜は体を冷やすからだ」と。死の直前にあってなお自身の体を気遣うのは、実際の家康が健康に対して非常に気を使う人物だったということに由来する。実際の個性をエピソード内に取り込むことの好例といえよう。その他にも清純なヒロインの姉妹に淫乱な女性を配置し対比を際立たせるという方法も絶妙だ。

 以上の要素がぎっしり詰まっていて、読んでいておなかいっぱいになれる作品だ。落ちの部分で萎えるといえば萎えるが、作品の読みどころはそこにあるわけでなくあくまで上で記した部分なのだからそれは些細な瑕疵でしかない――と、ここまで言ってしまっては贔屓の引き倒しだろうが、それだけ魅力的な作品だということだ。