東野圭吾『殺人の門』

殺人の門 (角川文庫)

殺人の門 (角川文庫)

 2006年6月購入。4年7ヶ月の放置。主人公の田島和幸は裕福な家庭に生まれたものの、祖母の死をきっかけに家庭が崩壊する。彼の母が姑の食事に毒を盛ったという噂が流れたのだ。やがて両親は離婚し、共に暮らす父は仕事を投げやりクラブの女に溺れる。学校ではいじめの対象となり、初恋の少女には失恋した挙句、その少女は自殺してしまう……といった具合にひたすら悲惨な人生を歩んでいく。そんな彼の人生には常に一人の男の影があった。倉持修というその男は和幸のことを親友と呼びながら、どこか馬鹿にした雰囲気があり、のみならず彼の不幸に間接的に関わること大であった。大人になってからは倉持の犯罪じみた商売に手を貸し、それにより多くの人を不幸にし、何よりも自分自身がいっそう惨めになっていくことを実感した和幸は倉持に対する殺意を募らせていく。しかし、和幸は実際に彼を殺すことができずにいた。
 殺意を抱くことと実際に相手を殺すことの間には厚い壁がある。例えば一番人気の馬を貫禄の伝統芸で4着に飛ばされてヨシトミシネ〜と叫んだりするように、誰かにむかつく事があり氏ねなどと思っても実際に行動に移すことなどまずないであろう。この一線を超えるほどの殺意・憎悪とはいかなるものか――文庫にして600ページを越える圧倒的なボリュームでもってそれが描かれる。テーマがテーマだけに展開はカタルシスが得られるものとは程遠く、終始鬱々たる空気で進む。およそ爽やかな新年一発目に読む本にふさわしいとは言えない。
 だが、この鬱々とした話にはひどく引き込まれる。それだけ主人公とその周辺のデティールがじっくりと書き込まれているからだ。明確に提示されるテーマも決してブレることはない。のみならず、冒頭と中盤に<殺人の門>をくぐって実際に人を殺した者、あるいはくぐれずに無様に失敗する者、この二通りの人物を配置することにより、<殺人の門>に対する主人公の立ち位置を相対化させ、結果的に明確なテーマがよりいっそう明確になっている。必然、テーマに対する読者の視点もブレることはなく読み進めていくことが可能となる。オチのサプライズが予定調和的であるがためにインパクトは弱くなっているものの、全体的にはよくまとまっている。